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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和37年(わ)98号 判決 1965年11月09日

被告人 上村忠常こと坂野三雄

主文

被告人を判示第一の罪につき、無期懲役に、判示第二ないし第六の各罪につき、死刑に処する。

昭和三七年五月一六日付起訴状記載の公訴事実中死体遺棄の点につき、被告人は無罪。

理由

(被告人の生活歴)

被告人は昭和四年に本籍地の北九条尋常高等小学校を卒業後、父親の運送業の手伝いをしていたが、昭和六年に上京し、熊谷ジムに入りボクシングの練習をしていたが長続きせず、昭和八年に本籍地に戻つたが、昭和九年頃から犯罪を重ね、同年一〇月五日には窃盗罪により懲役一〇月、昭和一〇年八月一日には詐欺罪により懲役一年、昭和一二年八月一四日には窃盗、詐欺罪により懲役二年六月に各処せられた。昭和一七年坂野チエ子と結婚し、結婚直後本籍地で養鶏業をしたこともあつたが、間もなく佐賀県に移住し、炭坑を転々とし、昭和二五年七月三一日には傷害罪で罰金一〇〇〇円に処せられたこともあつたが、昭和二六年一二月頃殺人、同未遂罪を犯し、昭和二七年四月二八日佐賀地方裁判所唐津支部において懲役八年に処する旨の判決を受け、福岡高等裁判所に控訴中、同年六月二五日保釈され、該控訴は同年一〇月六日棄却され、同月二一日該判決は確定したが、その前後から行方をくらまし、同年八月頃から翌二八年一二月頃までの間一〇数回に亘り詐欺、横領罪を反覆し、昭和二九年一月七日右詐欺罪により逮捕され、同年四月二二日同裁判所において詐欺の罪につき懲役一年、横領の罪につき懲役一年六月に処せられ、同月二六日該判決は確定し、右殺人、同未遂の刑とともに熊本刑務所において服役中のところ、昭和三五年九月二一日仮出獄したが、その後も正業につかず各地を転々としていたものである。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一昭和二七年九月一〇日頃、佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社境内において出会つた小形こと中村小夜子(昭和五年一〇月三日生)と親しくなり、同夜は附近の旅館で同宿し情交を結んだが、その際、炭坑を経営している等と虚言を弄したため、翌朝同女がその炭坑を見たいと言い出したので、同女を自己の運転する単車後部に乗車させ、午後三時頃、同県唐洋市大字畑島畑島炭坑跡附近まで同行したところ、同女が被告人の虚言を知り、これを詰つたことに激昂し、やにわに右手拳で同女の腹部を強打したところ、同女が仰向けに倒れたまま動かなくなつたので、このまま殺してしまえと考え、同女の首を両手で絞めて殺害し、犯行をかくすために、その着衣をはぎとりり、附近のくぼみに死体を投げ込み、その上から松の枯枝や石をかぶせ、外から死体が見えないようにして遺棄し、

第二昭和三六年二月二五、六日頃、今泉雷次郎から同人の山下藤幸に対する保証金の取立てを依頼され、同月二七日福岡市新天町パチンコ遊技場「やまと会館」事務所において、右山下藤幸の父親山下戸吉から現金七万円を受取り、右今泉のために保管中、自己の遊興費等に費消する目的で、同日頃同市内において内約六万五〇〇〇円を着服横領し、

第三一、同年六月一日頃、長崎県北松浦郡佐々町平野免里山鉱業株式会社事業所において、同社経理課長谷野八代吉に対し、河内鉱業退職者等から退職金受領方を委任されて来た旨うそを言つて同人をその旨誤信させ、同月一三日頃同所で同人より岩永計外九名の退職金名下に現金一二万二四〇〇円を受取り、

二、同年七月二一日頃、同郡福島町仲野守経営の映画劇場光和会館において、支配人片山健治に対し、「仲野から売上金を貰つて来るように言われた」とうそを言つて、同人をその旨誤信させ、同日同町塩浜免五四九の同人方において、同人から現金五万二九八〇円を受取り、

以つて、各騙取し、

第四同年一一月一一日頃、佐世保市若葉町の弓井寅雄方八畳の間において、その姪弓井美智恵(当時二八年)と雑談中、同女を強姦しようと決意し、やにわに同女の首に手を廻して引き寄せ、押倒して馬乗りになり手で喉をしめ、許さんと殺すぞと言つて脅迫し、その反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫し、よつて同女に対し、治療三日間を要する喉部擦過傷及び処女膜裂傷を負わせ、

第五昭和三七年一月二三日朝乗用自動車トヨペツト・クラウンデラツクスを運転し白タク営業中、北九州市小倉区(当時小倉市―以下同じ)大字小森のバス停留所附近において、高住寿子(当時二〇年)外一名に乗車するようにすすめ、二名を乗せ魚町交叉点を経て井筒屋前で外一名を降し、右高住の依頼で同女一人を乗せて、午前一一時頃同区田町の古谷エミ子方へ行き高住のみ下車して右古谷から現金二〇〇〇円と衣類の入つたニツカブランデーと記入のあるダンボール箱(昭和三七年押第三三号の三五)を受取つて車に戻り、再び同女を乗せ、その後は同女と食事をしたり、映画を観たりして行動を共にしていたのであるが、夕刻頃同女を送るべく小森方面に向つたところ、ガソリンが切れたので途中給油した際、その代金を支払うために同女に金を要求したところ、同女が五〇〇円しかないと言つたことから、一日中あちこち乗り廻しながら五〇〇円位で片付けようとする同女に腹を立て、「金はいらんから関係させてくれ。」と言つて承諾させ、午後七時頃同区大字高津尾の埋立地に車を入れ、運転台で同女と情交を結んだが、その後、同女が「家まで送つてくれ。」と頼んだところ、これを拒絶したため、同女が怒つて「五〇〇円返してくれ。」と言つたことに立腹し、降りろといつて車外に押出したが、同女が「無理に関係しといて白タクのくせに警察に言う。」と言つたことに激昂の余り、やにわに、足で同女の胸の辺を一回蹴り上げて仰向けに倒し、「お前何ということを言うか」と言つたところ、同女が大声をあげたので、突嗟に左手で口を塞ぎ、右足で上体を押えつけて右手で首を締めたら、一旦おとなしくなつたので、立上ろうとしたが、同女がしがみついてきたため、これを振り離そうとするうちに二人とも埋立地の端の下の方に落ちてしまつたので、面倒になり同女を殺害しようと決意し、同女の首を力一杯締めて殺害し、

第六同年三月一八日頃、当時長崎県知事選挙違反容疑で勾留されていた自民党長崎県連事務局長河崎吉三の愛人で長崎市内のキヤバレーに働いていた山崎恵子(当時二〇年)が河崎から金を貰つていることを知るや、同月二〇日頃同女に対し、自民党員のように装い河崎が渡した金は党の金でこれを返さないと警察問題になるから金策するように言い、更にうまく処理してやると言つて同女と情交を結び、翌二一日より警察の手が廻つたとうそを言つて同女を連れ出し、佐賀県武雄市、福岡県柳川市、同県鞍手郡若宮町の各旅館を転々とするうち、同女に愛着の念を深め、更に同月二四日同県山田市に行き同市内で二泊した後知人を探すべく同月二六日正午前頃、同市大字熊ケ畑字咽ケ畑附近に行き、同人の消息を尋ね歩くうち、同女が足を痛めたので同日午後一時三〇分頃、附近の山林中で同女の足をさするうち欲情を覚え、その場で情交した後、同女に対し大阪方面に逃亡しようと誘つたが、拒否され、更に同女がなお河崎に未練のあるような口吻を洩したことに激昂し、同女を他人の手に渡すよりは殺害するにしかずとなし、一旦立上つた同女に対し、やにわに右手拳を以てその腹部を殴打して転倒させ、左腕をその頸部に巻き右手をその咽喉部に当てて締めつけて穿息死させ、その目的を遂げた

ものである。

(証拠)

判示被告人の生活歴に関する部分につき、<証拠省略>

判示第一の事実につき、

(一)  まず<証拠省略>を総合すると、昭和三七年五月二八日、唐津市畑島在畑島炭坑跡附近の水源山北側山すその通称柳谷のくぼみから土や、大小の石でおおわれ、地中に埋つていた女性の白骨死体がやや腐蝕した赤色サンダル一足とともに発見された事実、右白骨死体は小形こと中村小夜子(昭和五年一〇月三日生)であると確認された事実、右鑑定書作成の時点において、右死体は死後四、五年から一〇年内外経過していた事実を認めることができる。

(二)  次に、<証拠省略>によると、小形こと中村小夜子は昭和二七年初め頃世保市峯坂町一〇三番地の岩本ハル子方に寄宿し、米軍人(白人)のキープガールをしていたものであるが、同年八月末か九月頃右岩本ハル子方を一寸出かけてくると言つて、当時物珍らしかつた携帯ラジオ一台を持つて出掛けたまま、以後全く消息を絶つていた事実を認めることができる。

なお、死因については、全くの白骨死体であるため、判然としないが、前記各証拠によるも、小形こと中村小夜子が佐世保にはいたくない旨洩らしていたとはいえ、自殺等すべき事情は全くなく、又前記死体発見の場所、死体埋没の状況等に照らすと、自殺ないし過失死と推測さるべき状況にはなく、他殺であると推測すべきが相当であると判断される。

(三)  本件において、とくに留意すべき点は被告人の自供に基き捜査が開始され、現場捜索の結果前記のように白骨死体が発見されたということであり、このことは、<証拠省略>により明らかである。

しかも、右被告人の司法警察員に対する供述調書における自供内容たるや、犯人でなければ、知りえないような、具体性、迫真性に富んでいるのみならず、死体の埋没個所が自供内容と(1) 以前、杉、檜、松が茂つていたと認められるその切株が現存していた点、(2) 二段の石垣が若干壊れながらも残存していた点、(3) 当時谷川のような状態であつたと考えられるくぼみに死体があつた点、死体の上には大小二〇個位の石が土とともにかぶさつていた点において極めて酷似していることが前記各証拠からうかがわれ、さらに、前記被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、被害者たる女性は年令二二、三才位で、携帯ラジオを持つており、佐世保で米軍人にキープされていたことがあり、家も佐世保にある等と話していたこと、赤色の履物であつた等と供述している点から小形こと中村小夜子であると推認され、しかも右供述調書が小形こと中村小夜子の白骨死体が発見される前に作成されたものである点を考えれば、同供述調書は十分信用でき、同女殺害の犯人は被告人であると認めるのが相当である。

尤も、被告人は右供述調書においては、犯行日時の点につき昭和二七年六月下旬から七月上旬までの間のことであると思うが、当時佐賀県東松浦郡相智の野中清二から借りた単車に乗つており、この単車のことが事件となつて唐津の裁判所で判決を受けたことがあるから、その時の記録を見て貰えば犯行日時がはつきり分ると供述しており、<証拠省略>によれば、本件犯行日時は昭和二七年九月一〇日頃と認定するのが相当である。

なお、被告人の司法警察員に対する昭和三七年五月二二日付、検察官に対する同年七月一六日付各供述調書によつて認められる携帯ラジオの処分の点についても、第四回公判調書中の証人山村信男の供述部分により裏付けられており、右各供述調書が信用できることを裏書している。

(四)  これに反し、被告人は公判廷においては全く犯行を否認するに至つた。しかし、被告人の弁解は必らずしも一貫せず、第四回および第八回各公判調書中の被告人の各供述部分によれば、被告人は昭和二七年九月四日頃祐徳稲荷前で洋装、ハイヒールをはき、携帯ラジオを持つた二二、三から四、五歳位の女性と出会い、その晩は附近の旅館に同女と一泊し、翌五日頃には右女性を同伴の上単車で唐津方面に向つたが、本件死体発見現場附近には行つておらず、唐津の水上旅館に行き右女性だけをそこに残し、自分は大正町の自宅に帰つたところ、妻から収監状の出ていることを聞き身の危険を感じ、右女性とは別れ久留米から博多へ出た。右女性を単車に乗せたとき携帯ラジオをハンドルのところにつけていたが、そのまま持ち歩いていたので翌六日頃中村邦夫に預けてこれで金を都合してくれといつた、同日岡山に行き数日滞在の後一一日頃には更に姫路に向つた。したがつて九月一〇日頃は唐津にはおらず、自分が唐津で女性を殺したというのは全くの冗談でつくり話である。

というのであるが、祐徳稲荷で一諸に泊つたという女性については、第六回公判調書中の被告人の供述部分によれば同日同所で始めて会つた女ではなく武雄の遊廊から唐津について来た女で、唐津では水上旅館に泊り、翌日帰るときに一諸に祐徳稲荷に泊つたのであるともいうのである。

かように、被告人の弁解は彼此くいちがいがあるばかりでなく、次の諸点に照らし、とうてい信用できないのである。即ち、

(1)  被告人は警察、検察庁における自供は冗談事であるというのであるが、ことは人を殺害したという重罪事件に関するのであつて、冗談で供述できることでなく、まして数々の犯歴を有し、供述調書の意義重要度につき十分理解していると考えられる被告人にとつてはとくに、かようなことは考えられないのである。

(2)  また、被告人は昭和二七年九月五日頃、収監状が出ていると聞いたというのであるが、検事福原利武作成の昭和三八年一二月九日付および同月一八日付各照会回答書によれば、別件殺人、同未遂事件の判決確定に伴う収監状が発付されたのは昭和二七年一〇月二〇日であり、又単車の寸借詐欺の容疑で被告人に対する逮捕状が発付されたのも同年九月一七日であつて、被告人の右弁解は客観的事実に反するのである。

(3)  さらに、携帯ラジオに関する弁解にしても、当時極めて物珍しかつたものであるから、所持人としても、これを大事に保管していたであろうかということは想像に難くない。ところが被告人の弁解によると、女を単車に同乗させたときハンドルにつけておいたのをそのまま持ち歩いていたというのであるが、果して、右女性が携帯ラジオを被告人のいうように無雑作に放置していたのかどうか疑わしいものといわなければならない。

要するに、被告人の弁解はとうてい信用できないのである。

(五)  以上説明したところを総合すれば、判示第一の事実はその証明が十分であるといわなければならない。

判示第二、第三の一、二の各事実につき<証拠省略>

判示第二、第三の一の各事実につき<証拠省略>

判示第二の事実につき<証拠省略>

判示第三の一の事実につき<証拠省略>

判示第三の二の事実につき<証拠省略>

判示第四の事実につき<証拠省略>

判示第五の事実につき<証拠省略>

(一)  まず、<証拠省略>によれば、昭和三七年三月二九日、北九州市小倉区(当時小倉市)大字高津尾の笹薮の中から、ミイラ化した全裸体の成年女性の死体が発見され、右死体の左上顎部五、六、七に架工歯一個、右上顎部六に単冠一個があつたことから、右死体は高住寿子(当時二〇年)であると確認され、その死因は扼絞頸による死亡か、扼絞頸により仮死状態になつたまま放置されて死亡したもので他殺によるものと認められる。

(二)  次に、<証拠省略>を総合すれば、高住寿子は当時愛知県渥美郡渥美町福江井筒万旅館の女中として働いており、成人式出席のため昭和三七年一月一一日頃帰郷し、同月二三日朝小倉へ切符を買いに行くといつて北九州市小倉区(当時小倉市-以下同じ-)大字小森四一五の義母高住こと日高アヤ子方を出たまま消息を断つていたものであるが、当日の同女の服装は黒ワンピース、黒色カーデイガン、水色モヘヤーオーバーを着用し、黒色ハンドバツグを携帯していた事実、高住寿子は同日朝右日高方を出て附近の小森バス停留所で、当時白タクをしていた被告人から誘われ、井元ヒサ子と共に被告人運転の黒色トヨペツト・クラウンデラツクスに乗車し、井元は井筒屋まで、高住は田町まで乗せて貰うことにし、井筒屋で井元は下車し、高住は田町の古谷エミ子方附近まで乗せて貰い、被告人にすぐ戻るから待つていてくれるように言つて古谷エミ子から現金二〇〇〇円と衣類の入つたニツカブランデーのダンボール一箱(昭和三七年押第三三号の三五ないし四〇)を受取り再び被告人の車に戻つたが、その時刻は午前一一時頃であつた事実、被告人はその後も高住寿子と行動を共にし、午後四時過頃には同女の死体が発見された場所から二〇メートル位しか離れていないところまで車で来たことがある事実、その後午後八時頃被告人は一人で小倉区北方町一の九二九の丸山英雄経営にかかる共栄自動車修理工場に前記自動車を明日の昼までに頼むといつて修理を依頼して一日帰つたが、三〇分程して石本正義運転の白タクに乗つて引返し、前記修理を依頼した車の後部トランクからダンボール箱二箱を取出し、それを持つて右白タクで小倉駅へ行き、同日午後一一時頃同駅構内の手荷物一時預所ジヤパンエキスプレスに中川進名義で一時預りした事実、右一時預りしたダンボール箱二個のうち、トヨタ純正部分品と記入あるものの中には、同日高住寿子が着用していたオーバー、ワンピース、カーデイガンと同女が携帯していた黒色ハンドバツクが当日同女が着用していたと認められる下着類と共に無雑作につめ込んであり、他の一個は同女が古谷エミ子から受取つてきた衣類の入つたダンボール箱であつた事実を認めることができ、同女が殺害されたのは昭和三七年一月二三日であると判断できる。

(三)  さらに、<証拠省略>によれば、被告人は同年一月末頃、東京都小平市学園東町四七の五長坂武驥方において、高住寿子所有の女物腕時計、女物指輪を担保に同人から六〇〇〇円借用した事実を認めることができる。

(四)  ところで、被告人は司法警察員に対する昭和三七年五月一八日付供述調書で抽象的にではあるが犯行を自供し、同じく司法警察員に対する同年五月三一日付供述調書では極めて詳細かつ具体的に犯行を認めており、同年六月一日付供述調書ではこれを補充する供述をしているのであるが、同年九月二八日付の検察官に対する供述調書以来犯行を否認する態度をとるに至り、公判廷においても一貫して犯行を否認している(第九回、第一〇回、第一四回、第一八回公判調書中被告人の供述部分)。

公判廷における被告人の弁解の要旨は、被告人は昭和三七年一月二三日午前九時頃、北九州市小倉区小森のバス停留所で高住寿子と出会つて以来、同日夕刻頃前記死体発見現場附近に至るまで、ダンボール箱一個を携帯した同女と行を共にしていたことは自認するところであるが、肝心の殺害の点については、

死体発見現場から約四〇〇メートル位小倉寄りの新高見橋附近で自己の運転する自動車が故障した際、同女は右箱を車に置いたまま下車して右橋の上で或る男と立話をしていたが、これが同女の姿を見た最後である。その後は、死体発見現場近傍の広場で自動車修理中の自分のもとに、約二時間後、右男が一人で来て、車後部トランクにあつた空のダンボール箱一個を持出して行き、暫くして再び右男が右箱を持つたまま一人戻つて来て、右男から女の料金も合わせ払うからと頼まれ、同人を乗せて、小倉へ向け引返したが、結局車の故障のため、同市北方自衛隊前附近まで右男を運送したに過ぎない。

と述べ、犯行を否認し、恰も右男が犯人であるかの如く主張するのである。

しかして、高住寿子所有の前記女物腕時計、女物指輪、あるいは同女が犯行当日着用していた前記カーデイガン、オーバー、ハンドバツグ等衣類の詰められてあつたダンボール箱と当初から衣類が詰めてあつたダンボールの処分についても、

時計、指輪については北方の自衛隊前附近で右男を下車させる際、男から自動車運送代の抵当として受取つたものであり、ダンボール二箱については右男が一旦小倉駅へ行つたあと再び修理工場に戻つてくるのでそれ迄車に置いといてくれと頼むので後部トランクに置いたまま下車させたが、男がその言に反して戻つてこないので、品物を車内に置いたままでは修理工場の主人に変に思われると思い二個とも駅に預けたにすぎず、その中身については何も知らない。

旨弁解する。更に警察で本件殺害を認めたことに対しては茶呑み話で語つた冗談事であるというのである。

(五)  しかしながら、結論的に言うならば、右弁解はとうてい信用できない。その理由は次のとおりである。

(1)  まず、警察官に対して自供した点については、その内容が重罪事件にかかるもので、冗談事で供述しうるものでないことは、判示第一の事実に関し述べたことと同様である。

(2)  被告人は昭和三七年九月二八日の検察官に対する取調の際から犯行を否認するに至つたのであるが、検察官に対する弁解と公判廷における弁解の間にもくいちがいがある。例えば、

(イ) 公判廷においては、被告人は新高見橋で自動車が故障したというのであるが、検察官に対しては高住寿子が右橋で立話をしていたという男を自衛隊附近で降した際クラツチ盤が故障したというのであつてそれ以前に車が故障したという供述はない。

(ロ) また、公判廷では死体発見現場近傍の広場で自動車修理中の自分のもとに、右男が来て車後部トランクにあつた空のダンボール箱一個を持ち出して行き、更にその後暫くして再び右男が右箱を持つたまま一人戻つて来たと供述するが、検察官に対しては男が空のダンボール箱を持ち出したとかその箱を持つて戻つてきたかという供述はなく、女を待ちくたびれて車の中で眠つていると午後七時頃男が手ぶらのまま帰つて来て少し待つていてくれというので待つていると暫くして戻つてきたがその際男が何か持つていたかどうかはわからない。自衛隊の所で男が車から降りるとき色々物を持つていたので車に積んであつたボール箱を貸してやりそれに詰めたものであるというのである。

このように被告人の弁解自体種々くいちがいがみられ、このことは被告人の弁解自体の信用性を著しく低下せしめるものである。

(3)  また、その弁解内容は不合理不自然な点が極めて多い。

例えば、

(イ) 高住寿子が被告人のいう男と新高見橋附近で出会つたということは疑わしい。

もし高住寿子とあらかじめ示し合わせていた場所であるとするならば、同所は当時小倉市内とはいえ、いわゆる市街地から相当隔つた田圃地帯で、若い男女の逢引場所としては不適当な場所であるし、又偶然出会つたというのであれば、その男がその時刻頃同所を通りかかつたという偶然と、その近傍で被告人の運転する車が故障したという偶然の合致がなければならず奇異の感を免れ難いのである

(ロ) 被告人の弁解自体からは右の男を犯人ないしその共犯と推断せざるをえないのであるが、そうであるとするならば、高住寿子が現に身につけていたオーバー、カーデイガン等の衣類を詰めるために、最前迄同女と行を共にしていた被告人の許にわざわざ空のダンボール箱を借りに来た行為、更に右箱に同女の衣類を詰めた後、これを持つて再び被告人の許に戻つて来た上、乗車方を依頼したという右男の行動は人に顔を見られたくないという犯人共通の心理に著しく違背する全く不合理不可解な行動である。

(ハ) また、右男が同女と立話をしていたという新高見橋と死体発見現場、被告人が車を停めていた場所の三者の位置、距離関係を検討すると、死体発見現場と被告人のいたところとは二〇メートル位しか離れていないのであるから、死体発見現場附近で殺害したのであれば当然被告人に気付かられる筈であるし、また、新高見橋附近で殺害したのであれば、何故に死体を約四〇〇メートルも離れた死体発見現場附近まで運ぶ必要があつたのか理解できないところである。

(ニ) 更に、被告人は自動車を共栄自動車修理工場に修理を依頼し、車を預けて帰つたが、すぐ引返し、二個のダンボール箱を持ち出して行つたのであるが、この被告人の行動についても、被告人は納得できる説明をしていない。被告人は明日の昼までに修理を頼むと言つて預けたのであるから、右日時を過ぎても取りに来ないときは不審に思われ、遺留品を調べられるであろうことは誰れもが予想しうるところであるから、右被告人の行動はもはや車を取りにくる意思がなかつたこと、ダンボール二箱の中味を被告人が知つていてそれを他人に見られては困るという理由があつたことを推認せざるを得ないのである。

(ホ) なお、指輪、時計を預つた経緯に関する弁解についても、右品物の価格とその日の乗車代を対比すれば、余りにも前者が高過ぎて不自然である。

以上のように、被告人の弁解はこれを仔細に検討すると不自然不合理な点が多くとうてい信用できないのである。

(六)  これに反し

一、被告人の司法警察員に対する昭和三七年五月三一日付、同年六月一日付各供述調書については、その任意性に欠くるところのないことは第八回公判調書中証人江崎吾市の供述部分により明らかであり、その内容も詳細且つ具体的であり、肯定すべき点は肯定し、否認すべき点は否認しており、前記(一)ないし(三)において認定した客観的事実ともほぼ一致し、十分に信用できるものと考える。

(七)  以上説明したところを総合すると、判示第五の事実はその証明が十分であるといわなければならない。

判示第六の事実につき、<証拠省略>

なお、弁護人は本件に嘱託又は承諾による殺人であると主張する。しかしながら、右主張にそう被告人の司法警察員白川勇雄に対する昭和三七年四月二八日付供述調書および検察官に対する同年五月四日付供述調書は被告人の司法警察員に対する同年五月一〇日付、同月一一日付および同月一四日付各供述調書および検察官に対する同月一五日付供述調書によつて、うそを言つたり感違いをしていた点があるとして訂正されており、また、犯行日時を昭和三七年三月三〇日といい、被害者の所持品の処分についても犯行前にしたものであるというなど前記関係各証拠より認定しうる客観的事実と異る供述をしているので、とうてい信用することはできない。しかして前記各証拠によれば、被害者の嘱託ないし承諾があつたものとはとうてい認め難いので、右弁護人の主張は理由がないものといわなければならない。

(確定裁判および累犯前科)

被告人は

(一)  昭和二七年四月二八日佐賀地方裁判所唐津支部において、殺人、同未遂罪により懲役八年に処せられ、該判決は同年一〇月二一日確定し、

(二)  昭和二九年四月二二日同裁判所において、(1) 詐欺罪により懲役一年、(2) 横領罪により懲役一年六月に処せられ、該判決は同年同月二六日確定し、昭和三四年一二月一三日右(1) の刑の執行を受け終つた、

ものであり右の事実は被告人の昭和三七年五月一〇日付および同年六月三〇日付各前科調書、検察事務官作成の判決謄本二通によりこれを認める。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は判示第六の犯行当時、被告人は心神喪失の状態にあつたものであると主張するのであるが、被告人の妻である証人久保チヱ子の尋問調書によれば、被告人は多少短気で時には暴力をふるうことはあつたが、精神に異常をきたしたことはなかつた事実を認めることができ、判示第六の所為に関する被告人の前掲司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、被告人は犯行の前後の事情を詳細に記憶して逐一供述し、その供述内容に何ら不自然な点がないことに徴し、犯行当時、被告人が是非善悪の判断能力を喪失していたものと認め得ないのは勿論、かかる能力が著しく減退していたものとも認め得ないので、被告人は犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたものといい難く、弁護人の右主張は理由がないから排斥するの外ない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中判示第一、第五、第六の各殺人の点はいずれも刑法第一九九条に、判示第一の死体遺棄の点は同法第一九〇条に、判示第二の横領の点は同法第二五二条第一項に、判示第三の一、二の各詐欺の点はいずれも同法第二四六条第一項に、判示第四の強姦致傷の点は同法第一八一条、第一七七条前段に各該当するが、判示第一の殺人および死体遺棄の各罪と前示確定裁判を経た各罪とは同法第四五条後段の併合罪の関係にあるので同法第五〇条により未だ裁判を経ていない判示第一の各罪につき更に処断することとし、判示第一の各罪、判示第二ないし第六の各罪はそれぞれ同法第四五条前段の併合罪である。

そこで、被告人に科すべき刑の選択、量定に関し、犯情の重い判示第一、第五、第六の各殺人罪について、前掲各証拠及び当裁判所が取調べたその余の証拠に照らして、その情状を検討する。

一  被告人はいまだ二〇代のうら若い女性を三人までも殺害したのである。しかも、その殺害の動機たるや、判示第一の中村小夜子殺害事件のそれは、前夜語つた炭坑に乞われるまま被害者を案内したところ、被告人のうそがばれ「何もしていないでないか」と詰じられたことに激昂したというのであり、判示第五の高住寿子殺害事件のそれは自動車代に関し、同女が「五〇〇円返せ」とか「無理に関係しておいて白タクのくせに警察にいう」と言つたことに腹を立てたからというのであり、判示第六の山崎恵子殺害事件のそれは被害者に大阪方面に一諸に逃げようと誘つたが、同女がこれを拒否し、なお愛人河崎に未練のあるような口吻を洩したことに激昂してのことというのであつて、いずれも単なるいさかいの域を出ないものであつて、かような理由によつて人を殺害するが如きは、人命を無視するも甚だしく、動機上被告人に弁疏すべき余地は全くない。

二  さらに、その方法たるや、被告人のかつてボクシングをしたと称する強力な腕力によつて、被害者等の腹部を手拳で殴打し、或は蹴上げる等してその場に転倒させた後首を締めて殺害したものであり、しかも、判示第一の中村小夜子殺害事件にあつては、被害者の腹部を右手拳で強打したらその場に転倒し動かなくなつた。しかし心臓の鼓動はあつたから、まだ生きているなと思つたが、処置に困り序の事と思い首を締めて殺したというのであり、判示第五の高住寿子殺害事件においては、被害者の胸を蹴り上げて転倒させたのち、もつれ合つているうちに面倒になり、ええくそという気持になつて被害者の首を力一杯締めて殺したというのである。その非人道性、その兇暴性たるや、まことに言語に絶するものであつて、いささかでも人間的心情のある者には、容易になし得ないところである。

三  しかも、犯行後は何れもその身許を判らなくする為、死体から衣類を剥ぎ、全裸もしくはそれに近い姿にして放置し或は隠匿したものであつて被害者の霊を冒涜凌辱すること甚だしいものといわなくてはならない。更に犯行後いずれも所持品のうちから金目の物を持去り、これを換金処分しているのであつて、その実情においては強盗殺人を思わせるものがある。

四  さらに、判示第一の中村小夜子殺害事件は、昭和二七年四月二八日佐賀地方裁判所唐津支部において、殺人、同未遂罪により懲役八年に処せられ、控訴保釈中の犯行であり、判示第五、第六の高住寿子、山崎恵子殺害事件は、右の殺人、同未遂罪の刑および、昭和二九年四月二二日に同裁判所において詐欺、横領罪により、懲役一年および同一年六月に処せられた刑に服役し仮出獄中の犯行であることに留意しなければならない。このことは、被告人の本件各犯行が被告人の四〇数年に亘る生活過程において培かわれた、被告人の悪性に深く根ざすものであつて、もはやこれが嬌正は容易なことではなく、将来更に同種犯罪を繰り返えす危険性を内包していることを示唆しているものと認められる。

五  被告人に有利な事情として酌量すべきものがあるとすれば、判示第一の中村小夜子殺害事件は被告人の自供によつて捜査が開始され、被害者の死体が発見された点である。被告人の自供がなければ、本件犯行は永遠に発見されず、被害者の霊も永久に浮ばれなかつたであろうことは想像に難くないところである。このことは、被告人の犯行の巧妙性を裏書する反面、一時的にせよ、被告人が悔悛の情を抱いたことを認めうるのである。

六  しかしながら、当裁判所の審理に際しては、判示第一、第五の中村小夜子、高住寿子各殺害事件については犯行を全面的に否認し種々弁解をなし、その他本件審理の全過程を通じて看取しうる被告人の態度からは、一片の悔悛の情さえ認め難いのであつて、まことに遺憾とするところである。

当裁判所は以上述べたところの外、審理に顕れた一切の事情を検討し、選択すべき刑については、慎重の上にも慎重を期した。しかし、裁判所が正義と信ずるところについては、行うのにいささかのためらいがあつてはならない。当裁判所は被告人がその罪を償う道はただ一つ、自らの生命をもつてこれをなさしめるのが相当と認めざるを得ないのである。そこで、判示第一の殺人罪につき所定刑中無期懲役刑を、判示第五、第六の各殺人罪につき所定刑中いずれも死刑を選択することにした。

よつて、判示第四の強姦致傷罪につき、所定刑中有期懲役刑を選択し、前記(二)(1) の前科があるので、判示第二、第三の一、二、第四の各罪につき刑法第五六条第一項、第五七条(判示第四の罪については更に同法第一四条)により法定の加重をし、判示第一の各罪については、同法第四六条第二項に則り、他の刑を科せず、被告人を無期懲役に処し、判示第二ないし第六の各罪については、同法第四六条第一項、第一〇条第三項に則り他の刑を科せず、犯情の重いと認める判示第五の殺人罪につき被告人を死刑に処し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人にこれを負担させないこととする。

(無罪部分についての判断)

昭和三七年五月一六日付起訴状記載の公訴事実中死体遺棄の点の要旨は

被告人は昭和三七年三月二六日午後一時三〇分頃、山崎恵子を殺害した後、この犯行の発覚を免れるべくその死体を全裸にして同所山林中に放置したのである。

というのである。

第八回公判調書中被告人の供述部分、同人の司法警察員に対する昭和三七年五月一一日付、同月一四日付各供述調書によれば、被告人は山崎恵子を殺害した後その場で衣類を脱がせ全裸にして放置したものであつて死体を移動させていないことが認められ、訴因として掲げられた事実も右認定事実と同一であると解される。

ところで、刑法第一九〇条にいう「死体遺棄」とは死体を現在の場所から他所に移して放棄するのは勿論、宗教風俗上埋葬と認められない方法により死体を地中に埋葬することも「遺棄」に当たると解すべきである。更に葬祭の義務あるものが葬祭の意思なく死体を放置してその場を離去する場合も「遺棄」に当るが、かような義務がない者については、死体を放置してその場を離去しても死体遺棄罪を構成するものではないと解すべきである。

本件においては、被告人には被害者を葬祭すべき義務がないことは勿論、被告人は死体を移動したり、埋葬したものではなく、殺害現場に放置したにすぎないのであつて、たとえ、被害者の着衣を剥ぎ全裸にしたものであつても、それが宗教感情上好ましくないことであることは否定し得ないのであるが、いまだ、同条にいわゆる「死体遺棄」には該当しないものというべきである。してみれば、右死体遺棄の訴因については、訴因事実自体死体遺棄罪の構成要件に該当しないものとしなければならない。

してみれば、前記公訴事実中死体遺棄の点については、刑事訴訟法第三三六条前段により無罪の言渡をなすべきものである。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判官 江藤盛 杉島広利 片山欽司)

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